なぜ「ダチト・モシーナ」が結成されたのか?

それは、「S村教諭」の高校時代から現在までの多重録音による作品の数々をふり返らずには語れないであろう。

ここでは、モシーナのルーツを探る貴重な資料を載せたい。


シンフォニア・ノビリッシマ(ジェイガー作曲)

この曲は、高校時代に録音された。

セッションは、当時としては画期的な「ラジカセ2台」方式である。

1台のラジカセで「カラオケ」を流す代わりに「一人目のS村教諭」を流し、マイクによりミキシングられた出力は2代目のラジカセに送られる。

この曲は、リコーダー4重奏によってアレンジされており、アルト・リコーダーより下の音域は使用されていない。

この方式の欠点は、2台のラジカセの回転数の違いによりピッチが微妙に変動することであるが、演奏を聴くからにそのような何点は力強くクリアされている。


交響曲第3番「オルガン付」第2楽章 第2部(ジェイガー作曲)

この曲は、高校時代に録音された。

7重奏による「ラジカセ2台方式」は、長い休符のあとに入るアインザッツが大変難しい。

・・・しかし、いとも簡単に録音されている。

「テナー・リコーダー」「バス・リコーダー」等を持ち帰ることができるならば、原調でセッションしたかったそうである。

一度、上級バンドに演奏してもらいたいレパートリーの一つである。


歌劇「フィガロの結婚」序曲(モーツァルト作曲)

音楽大学の「卒業研究」ということで録音された。

もちろん、原調であり、「リコーダー・モシーナ」の集大成といえるであろう。

このような、アレンジのテクニックは、後に吹奏楽12人編成による「死の舞踏」、6人による「バッカナール」とうの名作品に生かされている。(S村ハイア・ライブラリー)


ディヴェルティメント(ウール作曲)

名寄市において勤務している際に、アンサンブルの指導場面があった。

口で言うのも何なので、軽くセッションされたらしい。

もちろん、指導された生徒は全国大会に出場した。